会社との付き合い方

こんにちは、ちょびです。

 

いきなりですが、日経ビジネス・オンラインで以下のような記事が載っていました。

business.nikkeibp.co.jp

以前、「責任感が強いのは損?」でも少し書いたのですが、会社の中で出世するのは、無責任なタイプだそうです。

 

で、今回の記事でとても心に残る一文がありました。それは、

ホントに組織っていうのはね、無責任な人ほど出世する。部下を育てろ、結果を出せ、と言われるけど、部下は育てるモノのではなく“上手く使うコマ“で、結果とは“上に従順に動く”ってこと。そういうことが出来る人が、上に認められるんです。

これ、かなり会社の核心をえぐってますよね。

部下はコマで、結果は上に従順。私の職場でもこれと全く同じことが言えます。

会社は、うわべではワーク・ライフバランスだ、働き方改革だ、ダイバーシティだといいますが、子供のために早く帰る男性社員は迷惑なだけの存在だと思っていますし、長時間勤務解消の方法は現場任せ、ダイバーシティといいながら女性もろくに活用できない(出世している女性は性別が女性なだけで、働き方は男性そのもの)、と感じています。

これが日本企業の実態なのでしょう。

こんな会社と、どう付き合えばよいのでしょうか。私の出した結論は、「会社に頼らずに生きていく方法を探す」です。

究極的には、フリーランス、自営業ということでしょうか。それなら、上も下もなく、いろんな意味で結果だけが全てですから。

でも、みんながみんなフリーランスという訳には、なかなかいかないですよね。

組織のいいところは、それぞれが専門特化しているところです。どんなに優秀な人でも、営業をしながら経理をしながら開発をしながら経営をしていては、全部が中途半端になってしまう可能性が大です。その点、組織なら営業は営業が、経理経理が行いますから、経験も増えますし、覚えることも少なくて済みます。効率的ですよね。特に対象事業が大きくなると、このような分業制は非常に効果を発揮します。

というわけで、会社に属するのが絶対に悪い、という訳ではないと思います。ただ、会社にどれほど(自分なりの)忠誠を誓っても、会社は必ずしも報いてくれるとは限りません。もし仕事で体を壊しても、労災が適用されるだけで、会社がその後のあなたの面倒を見てくれる訳ではありません。

その点を頭に置いて、会社とは適度な距離感を取るしかないと思います。それはきっと、会社から見れば「忠誠心の低い人」に見えるでしょう。でも、会社が欲しいのは、自分たちに都合のいい人であって、決してあなた個人ではないのです。そんな勝手な人(?)とは、適度に距離を取る必要があると思います。

では、具体的に会社と適度な距離を取るにはどうしたらいいのでしょうか。私は、「会社が信用できなくなったらいつでも縁が切れるようにしておくこと」だと思います。要はいつでも転職できる態勢を整えておく、ということですね。

夫婦の関係に置き換えると、会社は稼ぎのある夫、私たちは専業主婦と言った感じでしょうか。夫(会社)は毎月お金を入れてくれますが、妻(私たち)の努力に全く感謝を示さず、「もっとも家計をやりくりしろ!」と言ってきます。妻は他に収入の道がないので、不満を抱きつつも夫の言うことを聞くしかありません。

もし、妻に多少なりとも収入があればどうでしょう?もしかしたら離婚(退職)を考えるかもしれません。他にいい人がいれば、再婚(転職)も検討するでしょう。

私たちが会社に不満を抱きながら、それでも会社の言いなりになっている理由は、他に収入がないから、それだけです。他に生きていく道があれば、どうして自分を尊重しない夫(会社)と暮らしていかなければならないのでしょうか。

そういう意味では、日本はまだまだ再婚(転職)が厳しい環境です。若い頃は労働より対価の方が相対的に低く、年齢が上がって、やっとその分を取り返せる仕組み(年功序列)になっています

もちろん、これにはメリットもあります。それが終身雇用です。つまり、個人は転職等の社会情勢をあまり気にせず、自分の仕事に打ち込めるので、スキルが上がりやすい、会社も人の入れ替えに伴う人材育成等の経費を考慮しなくてよい、ということです。

ただ、時代は変わって、社会人生活50年の世の中では、そもそも1社で社会人生活が終わる人の方が少数になっていくでしょう。転職が当たり前になれば、社員と誠実に向き合わない会社は淘汰されていくことになると思います。そんな時代に備えて、今は会社と適度に距離を取って、自分のスキルを磨くことに力を入れていくことを強くお勧めします。

 

色んな意味で、まだしばらくかかりますが。。。

100年人生をどう生きますか?

こんにちは、ちょびです。

 

私は今、40歳です。あと20年働いて、5年は再雇用で働いて、その後は年金生活を送って、、、などと考えていましたが、どうもこの考えは甘いようです。

先日、公務員の定年を65歳に延長する方向で検討に入ったという記事を見ました。

公務員定年、65歳へ延長検討 年金開始引き上げに対応:朝日新聞デジタル

これで、あと25年は普通に働くことが事実上決定しました。まあ、再雇用でも働かないといけないんですけどね。

 

で、さらにこんな記事も見つけました。

平成29年9月8日 人生100年時代構想推進室看板掛け及び訓示 | 平成29年 | 総理の一日 | 総理大臣 | 首相官邸ホームページ

う~ん、人生は100年時代に突入するのですね。65歳まで働いても、人生を全うするまであと35年!

 

ちなみに、日本人の平均寿命の推移は内閣府によると以下のとおりです(単位は歳)。

1950年 男性:58.0 女性:61.5

2000年 男性:77.7 女性:84.6

2050年 男性:83.6 女性:90.3(共に推計値)

なんだ、2050年でも男性は85歳にも届かないじゃないか、とも思えるのですが、これは「平均寿命」のため、不運にも若くして亡くなった方も計算に入っています。

 

それでは、現在40歳の人はあと何年生きるのでしょうか?これは「平均余命」で考えることができます。厚生労働省による調査では、平成27年の平均余命が以下のようになっています(単位は年)。

40歳 男性:41.8 女性:47.7

50歳 男性:32.4 女性:38.1

60歳 男性:23.6 女性:28.8

70歳 男性:15.6 女性:19.9

80歳 男性:  8.9 女性:11.8

90歳 男性:  4.4 女性:  5.7

ちょっと分かりにくいですね。そこで各年齢の人が何歳まで生きられるのかに変換してみます(単位は歳)。

40歳 男性:81.8 女性:87.7

50歳 男性:82.4 女性:88.1

60歳 男性:83.6 女性:88.8

70歳 男性:85.6 女性:89.9

80歳 男性:88.9 女性:91.8

90歳 男性:94.4 女性:95.7

これによると、今40歳の男性は平均でおよそ82歳まで生きることになります。今から40年後は医療も発達しているでしょうから、90歳ぐらいは普通に生きられる時代になっているんでしょうね。

これほど高齢者が増えてしまっては、各種財源も持たないでしょう。当然、国は「高齢者も元気なうちは年金を受け取らずに働いて、税金を納めて」という考え方になります。

私の勝手な想像ですが、私が65歳になるころには、定年+再雇用で75歳まで働くのが当然の世の中になっていると思います。これでやっと老後が15年程度になり、全体として何とかなるのではないでしょうか。

 

すると、今40歳の人は残り35年の社会人人生が待っていることになります。

大学卒業後18年働いて40歳です。その倍ほどの社会人人生が待っている、ちょっと怖いぐらいですね。

この計算ですと、社会人人生がおよそ50年は続くことになります。ちなみに少し古いデータですが、創業後約10年で30%の企業が、約30年で50%の企業が倒産します(2011年 中小企業白書より)。

50年の社会人人生で、同じ会社に勤め続けることは、多くの人にとって難しい時代がすぐそこまで来ています。

終身雇用は崩壊しつつある、という人もいますが、日本では35歳以上の転職はやはり難しいことも多く(転職35歳限界説)、この年齢以上で思い通りの転職ができる人は少数派だと思います。

しかし、上記のようにそもそも企業が倒産しては終身雇用もあったものではなく、勤めていた人は転職せざるを得ません。

同じ企業に勤め続けられないとなると、次の企業で雇ってもらうためには「何か」ができないといけません。もちろん、技術職や専門職の方、管理職として実力のある方であれば、その能力(ポータビリティースキル:持ち運びのできる能力)で転職可能だと思いますが、一般的な事務・管理職は、その企業では役に立っても、他所では使えない能力しか持ち合わせていない人も少なからずいると思います(私もその一人です)。

また、たとえポータビリティースキルがあったとしても、50年の社会人人生の中ではそれらのスキルが陳腐化するため、新しいスキルを学ぶ必要性が生まれる、という人もいます。

50年の社会人人生、何をして、何を得て生きていくか。男性のキャリアも単線から複線になる中、私たちは昔よりより自由で、より難しい時代を生きていると思います。

個人的な話ですが、私は現在の一般事務だけでなく、英語やプログラミングに将来を見出しています。

英語は自動翻訳等が進化して、そのうちいらなくなる、という考え方もできるのですが、やはり機械を通さずに多くの人と意思疎通できるというのは、素晴らしいことだと思います。

プログラミンは、2020年には小学校で必修化されるそうです。あと20年もすれば、プログラミングができて当然の新人が社会にたくさん現れるでしょう。その時、「俺の頃はそんなのなかった」と、言って避けていけるでしょうか?それは私たちが新人の時に見た「パソコンができないおじさん」と同じではないでしょうか。

あの頃、私たちは人差し指だけでキーボードを打つおじさんたちを、冷やかな目で見ていたと思います。

終身雇用が難しくなり、一方で社会人人生が長くなる中で、キャリアはより自由に、より複雑になっていくでしょう。一つの企業、一つにキャリアに固執せず、強く、しなやかに人生を生きていきたいものです。

職場の価値観と自分の価値観

こんにちは、ちょびです。

 

働くことって、大変ですよね。

以前、上司に「お金をもらっているのだから、嫌なことをやって当然。楽しいことをやったらお金を払わないと。」と言われました。

聞いた時には、なるほどその通り、とも思ったのですが、本当にそうでしょうか?

確かに仕事には大変なことがつきものです。楽しいばかりの仕事はありません。でも、大変なことだけが仕事だとしたら、私たちは何のために働いているのでしょうか。

お金のためだけに働いているとしたら、これはこれで悲しいことだと思います。

 

私自身の話ですが、上司のパワハラで体調を崩すまで、職場で働くことは人生においてとても意味のあることだと考えていました。

体調を崩した後は、降格&異動で負担の少ない職場で仕事をしています。最近は体調も回復してきたので、元の役職への復帰を本部に申し出ました。

復帰のための診断書を提出して2カ月経っても、本部がろくに返事をしてこないので、しびれを切らして担当者に連絡したところ、「待ってろ、と言っただろう!」と怒られました。

その後、面談があったのですが、本部の言い分は「通院中は復帰させない。」というものでした。それが方針ならもちろん従いますが、そういう決まりがあるなら最初から言ってくれればよかったのです。面談中の彼らの態度は、私にはとても横柄に感じました。

その時に気づいたのですが、彼らは、役職が下の人間に事情を説明する必要はない、と考えているです。もし私の立場がもっと上なら、彼らは私が聞かなくても事情を説明しに来たと思います。

私を体調不良に追い込んだ上司は、組織内でも有名な潰し屋でしたが、上役にはとても丁寧に対応していました。私は彼を特別な人間だと思っていましたが、本部の態度を見て、彼は特別ではなく極端な人間だったのだと気づきました。

つまり、この組織では上の人間には媚び、下の人間には横柄な態度を取ることが普通のことだったのです。少なくとも、出世する人にはこの傾向がかなり強いということがわかりました。

私は立場の上下で対応に違いが出ることは、人としてどうかと思っています。派遣さんだから説明しなくてもよい、上司だから聞かれなくても説明する、というのは、間違っています。

仕事をする上で必要な情報は、立場に関わらず伝えるべきです。たとえそれが未確定だとしても、未確定である、として伝えるべきだと思います。

話が少しそれましたが、こういった職場の価値観と、自分の価値観が合わないとき、私たちは仕事で納得感が得られなくなるのではないでしょうか。

そして納得感の得られない仕事は、私たちに強いストレスを与えるのだと思います。これが嫌な仕事の原因の一つではないかと考えます。

職場の価値観と自分の価値観が合わないとき、取れる方法は二つです。

一つは価値観の合う仕事に転職する。

もう一つは、自分の価値観を職場の価値観に合わせる。

ただ、価値観を合わせると言っても、実際には難しいと思いますので、結局は自分の価値観に目をつぶることになると思います。

そうして、お金のために嫌なことに目をつぶって働いていくのだと思います。

 

私も今は、目をつぶって仕事をしています。そうでないとお金がもらえないからです。

でも、ずっと目をつぶってはいけないとも思っています。いつか目を開けて仕事ができるように、自分のスキルを少しでも磨きたいと思っています。

目を開けた時に、私はどこかに行けるでしょうか。

 

自分の人生を生きる

こんにちは、ちょびです。

 

もやしもん、という漫画をご存知ですか?

主人公の沢木直保は肉眼で菌が見える大学生で、その能力のせいか、彼は人と若干距離を置いて接しているように見えます。

彼は室町時代から続く種麹屋(日本酒等を造るために必要な麹を育てる仕事)の次男ですが、長男(沢木直継)が実家を継がずに家を出てしまったため、父親から家を継げと迫られています。直保は、兄(直継)が家を継がなかったために自分にお鉢が回ってきたことに怒りにも似た不満を感じ、アメリカで兄に会った時に色々と文句を言っています。

さて、ここからが私がとても気に入っているシーンなんですが、兄は弟(直保)に、「家を継ぐのが嫌なら逃げ出せばいい。自分の世界の中心は自分だ。」と言い放ちます。

とても当たり前の話ですが、人は誰も他人の人生を歩むことはできません。憧れの人の真似をしたとしても、それはそういう自分の人生です。そして、自分の世界の中心は、本当は自分のはずなんです。でも、私たちは様々なしがらみに縛られて、他人の世界の端っこで振り回されて生きています。

直継は、「自分はどこにいても自分だ。自分の世界の中心は自分だ。」と言いました。

私にはそれが、「自分の人生を生きていますか?あなたは好きに生きていいんですよ。自分の世界の中心はあなたなんですよ。」と言ってくれたように思えました。

 

私はパワハラのせいで体調を崩し、今は降格した状態で働いています。

パワハラと降格 - ちょびののぞき窓

それまで私は、仕事は一生懸命やって当然、出世は人生の大きな目標の一つ、と考えていました。

しかし、パワハラで体調を崩し、自分に非がないのに降格した今は、どうして仕事は一生懸命やらなければならないのか、出世は本当に「人生」の大きな目標なのか、と疑問を抱くようになりました。

私のパワハラの原因となった上司は部長で、大学では通常の事務職員がなれる最上位です。ただ、この部長は学内でも有名な問題児で、何人もの部下をメンタル不全に追いやっています。

こんな人間が最上位になれる組織は良い組織なのでしょうか。そんな組織で出世することは本当に人生の大きな目標なのでしょうか。そして、こんな人間のためでも一生懸命働かないといけないのでしょうか。

この一件で、私の価値観は大きく揺らぎました。その後ずっと、自分とは、仕事とは、生きるとは、ということを考えてきました。

その後に至った結論の一つは、家族は私の味方だが、職場は私の味方ではない、というものです。職場はしょせん、組織の維持が目的で、そこで働く社員は換えのきく、その他大勢でしかないということです。

そこで私は、可能な限り家族に時間を費やすようになりました。仕事は必要最低限にして、できるだけ定時で帰り、家事や育児に時間を充てるようにしました。

ただ、最近は家族のため「だけ」に生きるのも少し違っている、と感じるようになりました。家族のためにお金を稼ぎ、家事をし、自分の時間が全く持てないでいると、自分が何のために生きているのか分からなくなってきます。極論ですが、子供たちが今後も安定した生活を送れる保証があるのなら、自分はいらないのではないか、と考えることもありました。

でも、そんなの間違ってますよね。子供たちに必要なのは安定した生活ではなく、苦しくても、仲良く一緒に暮らしていく家族のはずです。

そんなことを色々と考えているとき、「自分はどこにいても自分だ。自分の世界の中心は自分だ。」と言ってくれた直継に、私は少し泣きそうになりました。

家事や育児で手を抜くわけではないですが、自分の世界の中心は自分なのだから、自分を押し殺して生きていく必要はないし、自分にも家族にも良い方法がきっとあるはずで、それを一生懸命探すべきだ、と思うようになりました。

自分の人生を生きるということは、家族のために自分を押し殺すことでも、自分の好き勝手に生きることでも、ましてや仕事にすべてを費やすことでもなく、家族と自分が力を合わせてより良い人生を歩んでいくことだと今は考えています。

まだ、具体的な方法が見えたわけではありませんが、向かう方向が分かったということは、私にとって大きな希望でした。

子供の股関節の痛み

こんにちは、ちょびです。

 

お休みの日に出かけようとしたら、上の子供(小学校2年生)が「足の付け根が痛い」と言って、足を引きずるように歩いていることに気づきました。

その前に少しお小言を言ったので、大げさに言ってるのかな?とも思ったのですが、どうやら本当に動かしにくい様子。

外出は中止して、急遽整形外科に行くことにしました。

整形外科ではレントゲンを撮ってもらったのですが、レントゲン上では特に異常はなく、もしかして水が溜まっているかも知れない、と言われました。そして、痛みを訴える右足の動きが確かに悪いとのこと。

その後、このぐらいの年の子には「ペルテス病」を発症する子がいるので、念のため大きな病院でMRIを撮ってきてください、と紹介状を渡されました。

ペルテス病、全く聞き覚えのない病気でしたが、お医者さんからは「もしこの病気なら、生活が一変する」と言われ、会計を待ちながらネットで検索してみると、、、。

 

ペルテス病 - Wikipedia

これは!かなりの運動制限(悪い場合は車いす)を伴う病気ではないですか!

早期発見すれば予後は悪くないとのことですが、小さい子供に運動を我慢しろというのか、とかなり暗澹たる気持ちになりました。

どうも私は心配性のようで、この日(月曜)から、検査結果の出た日(金曜)まで、食事もあまりのどを通らず、何も手につかない状態が続きました。

奥さんは、「もしそうなら確かにつらいが、命を取られるような病気ではないのでよしとするしかない」と言われたのですが、なかなか気分の切り替えができず、、、。

 

実際、結果が出るまでの経過ですが、

月曜:右足の付け根が痛いと言い、足を引きずるように歩く。股関節の可動域が左足より狭い。

火曜:痛みは少し和らいだと言う。まだ足は引きずっているが、月曜よりマシに感じる。股関節の可動域は変わらず狭い。

水曜:痛みはあまりないと言う。足の引きずりもほぼなくなってきた。股関節の可動域も少し広がった。

木曜:痛みはなくなったと言う。足の引きずりはわからなくなった。股関節の可動域も左足と同じになった。

金曜:検査の結果、問題ないと言われた。痛みも足の引きずりもなく、股関節の可動域も問題なくなった。

 

結局、ただの股関節炎だったようで(MRIでも少し水が溜まっていました)、我ながら心配性だな、と思いました。

この病気、2万人に1人程度の発症率のため、もう少し冷静に対応すべきだったのですが、性格的に無理なんですよね。

改めて、自分の心配性に気付くと共に、自分の中で子供がどんなに大事かを実感させられた出来事でした。

 

公務員はボケる?

こんにちは、ちょびです。

 

私は某国立大学に勤めています。

厳密には公務員ではありませんが、文書主義、前例踏襲主義、事なかれ、指示待ち、、、などなど、公務員そのままの仕事ぶりです。

また、労働組合があるものの、労働条件は国家公務員の人事院勧告に準拠するので、実際には機能していません。

そういった訳で、名実ともに公務員と何ら変わらないのが実情です。

 

さて、以前何かの記事で読んだのですが、公務員はボケやすい職業だそうです。

直観的にも理解できます。

自分で何も考えない、変化がない、スピード感もない、やる気もないし苦労もしない、、、。

いや、本当は色々と考えているんですよ。ただ、その向きがきわめて内向きなため、民間の人から見れば「??」となるんだと思います。

普通の会社でも、上司の顔色を伺いながら仕事をすると思いますが、あくまでお客さんありきですので、上司に逆らっても業績が良ければ文句が言えない、ということがあるかもしれません。

この点、公務員にはお客さんがいませんので、自分の評価は上司のみが行います。仕事は時間さえかければ誰でもできるものが大半ですので、上司に逆らって仕事をすることは困難です。上司が「これではダメだ」と言えば、書類は通らず、またやり直しとなります。

こんなことを繰り返すうちに、上司の気に入ることだけをする人間が出来上がります。

評価は直属の上司だけが行いますから、上司に好かれないと出世もできません。すると、上司に好かれるような人だけが出世していき、部下にも同じことを求めるようになります。

こうして、上だけを見る人を再生産しながら、組織は事なかれと非効率の沼に沈んで行きます。

 

タイトルに戻りますが、公務員はボケやすいと思います。

刺激が少ないんですよね。

認知症は記憶をつかさどる海馬の衰えが影響しているそうですが、前例踏襲、事なかれの公務員は記憶をフルに使う仕事とは言い難いです。

また、扁桃核も影響しているらしく、感情をあまり表に出さないことも認知症につながるそうです。

感情的な公務員、これは嫌ですよね。仕事の性質上、特定の人や事に強く思い入れてはいけないので(取り扱いが不公平になるので)、日頃から仕事ではあまり感情を表に出さないようにしています。こういうのも公務員がボケる要因なんでしょうね。

 

ボケないために、感情豊かに仕事をしよう!というわけにもいかないので、せめて沢山の本を読みたいと思います。

 

好きなことがない

こんにちは、ちょびです。

 

自分で言うのもなんですが、私はなかなか仕事はできる方だと思います。

昔の書類を眺めていればそこに何となく法則性が見えてきますし、事前にある程度のスケジュールを立てて計画的に仕事を進めることも比較的得意です。

結果、新しい仕事を任されても、「彼は自分でするから大丈夫」となってしまい、誰もやり方を教えてはくれません。

また、気が付けば一生懸命仕事をしてしまい、「今日は頑張らないでおこう!」と思ってもやっぱり頑張ってしまいます。

目の前に何かあると、反射的にやってしまうみたいです。

ただ、仕事は決して好きなわけではなく、朝は毎日ため息をつきながら出勤しています。

 

私にとって、一番大切なのは家族です。東日本大震災の時に、「自分にとって本当に大切なものはなんだろう?」と考え、以下の結論に至りました。

1.家族

2.健康

3.多少のお金

これだけあれば、たぶん大丈夫です。もちろん、欲しい物を数えればキリがないのですが、これだけあれば不幸ではありません。

これでそれなりに幸せ、としばらく思っていたのですが、最近は多少考えが変わりました。

もちろん、大切なものも順位も変わってはいないのですが、もう少し何かを望んでもいいのかな、と思っています。

物を欲しがればキリがないので、物以外の「モノ」が欲しいと思いだしました。

知識、経験、友人など、お金は必要ですがお金では買えないモノが最近は欲しいです。

ここでタイトルにつながるのですが、私には好きなことがないことに気が付きました。

好きなことがあれば、それを中心に欲しいものを考えればよいのですが、そもそも好きなことがないので、好きなこと探しからスタートです。

ただ、改めて好きなことと言われても、今までずっと我慢してきたので、自分が何を好きだったかわからなくなっていました。

 では、何を我慢していたのでしょう?

子供が生まれる前(8年ほど前)は、仕事もバリバリ、友人としょっちゅう飲みに行って、仕事帰りにジムに行く、という生活をしていました。

お金はあまり貯まりませんが、周りにも認められるし、体調も良いしで充実していたと思います。

そんな生活も子供が生まれて一変しました。毎日可能な限り定時で帰り、飲みに行く回数も減らし、ジムも行かなくなりました。

とにかく家で子供を面倒をみる、そんな生活になったのです。

子供中心の生活では、大人は何かと我慢をします。

休みの日も子供の予定に合わせて、自分の服を見に行く時間もありません。

本屋をぶらぶらすることもなくなり、本を読むことも減りました。

お金だって、子供のことが中心になり、自分のための出費は控えるようになりました。

当たり前と言えば当たり前のことです。

親が欲しいと思って生まれた子供ですから、できることはなんだってするべきだと思います。

ただ、だからと言って自分の好きなことが思い出せなくなるのは、果たして健全なのでしょうか。

今は仕方ないですが、子供たちが大きくなれば、自分のために時間を使うことは自然なことです。

その時、自分の好きなことがわからない、思い出せない、というのはなかなか悲しいことだと思います。

時間ができたとき、子供以外に何もない自分にはなりたくないので、もう一度自分の好きなことを探したいと思います。