人に教えるということ

こんにちは、ちょびです。

 

私は現在、降格のため(詳しくは、パワハラと降格をご覧ください。)正式には部下がいないのですが、実際には派遣さんを指導するなど人に教えることもしばしばです。

今、来てもらっている派遣さんは、お世辞にも仕事ができる方ではなく、何かの仕事を頼むと必ず一定数のミスをしてくれます。それはもう、期待通り、と言った感じです。

こちらの指示を聞いていないわけではないようですが、3ステップぐらいの仕事を頼むと何回かに1回は1ステップ抜けている、という感じです。

私には小学2年生の息子がいるのですが、その子といい勝負では?と思ってしまいます。

いい大人がこれではもちろん困るので、契約の更新はないな、と思っているのですが、別のことも気になりだしました。

それは、「この人、もしかして大人のADHD?」ということです。

指示は聞いているが、実際にさせるとミスが多い。メモを取っているが、取っていることを忘れているよう。一度に複数の指示を出すと、何かを必ず忘れる。

来ていきなりバリバリ仕事ができるとは思っていませんので、それほど複雑ではない繰り返しの作業を依頼しているのですが、人の名前を取り違える、日付を間違える、記入箇所を間違える、などなど、事務仕事をする社会人としてそれはどうよ?というミスを一定の割合でしています。

私は自分の息子がちょっと注意力に欠けるため、ADHDのことを少し調べたりしたのですが、大人だと今回の派遣さんのようになるのでは、と思うようになりました。

こちらも仕事ですので、「使えない」の一言で片づける訳にもいかず、見たままで作業ができる手順書を作ってみたり、疑問に思えばいつでも質問するようにと言ってみたり、気を使ってはいるのですが、作業を完全に任せきることができないので、思ったほど仕事が捗りません。

仕事ができる人は、相手が勝手に学ぶので教えるのは簡単ですが、あまりできない人に教えるのは本当に難しいと思います。

特に、今回の場合は短期で契約を終了することが決まっているため、一生懸命教えても無駄になる、という思いもあり、なかなか頑張る気になれません。

私自身、教えるのは比較的好きな方ですが、教えた端から間違われると、さすがに凹みます。

教える喜びは、相手が「分かった!」と言ってくれることだと思うのですが、こちらの思ったように理解してもらえないと、教えるのもなかなか苦行です。

生活を変えたい

こんにちは、ちょびです。

 

大人になると、日々の仕事や子育てに追われて、新しいことを始める機会ってなかなかないですよね。

私も「何か変えたい!」と思いながら、普通の毎日に追いかけられて何も変えられないままここ数年過ごしています。

ただ、最近は「何かが変わるような、変えられるような気がする」という、根拠のない思いが浮かぶようになり、10年続けていたテニススクールをお休みすることにしました。

10年、長いですね。それだけスクールに通っていれば、かなり上達しそうなものですが、実際にはかろうじて球が返せる程度のレベルで、うまいとは程遠い感じです。

これだけやっても大してうまくならないのは、素質もやる気もそれほどなかったのだろうと自分なりに納得し、今回お休みすることにしました。

ほぼ毎週通っていましたから、いざ休むとなると、生活のリズムが大きく変わるのでしょう。金銭的にも余裕が出ますので、これを機に何か新しいことに挑戦できればと思っています。

 

私自身は新しい物好きで、今までも色々なものに手を出してきました。

テニス、バイク、車、お酒、英語、手品、プログラミングに簿記や知財検定などの各種資格取得、、、。

資格は2級までならそれなりに取得したのですが、1級は本気で勉強する必要があるため、挫折して取得できませんでした。

この中で長く続いたのは、テニス、バイク、英語です。テニスは10年スクールに通いましたし、英語は5年通っています。バイクは20年来の趣味になりますが、子供ができて以降はかなり縁遠くなっています。

英語は週一で5年スクールに通っているのですが、これまた全くと言っていいほど上達しません。長く通っても、本人に目的意識がないため、あまり身につかないのかなと思っています。

 

さて、では何を始めたらよいのでしょう?

これがまた、全くのノープランです。資格取得が趣味なので、最近は産業カウンセラーに興味があるのですが、事前に講習(6か月ほど)を受ける必要があるため、ちょっと腰が引けています。

できれば、仕事を辞めても続けられるようなものがいいなと思うのですが、なかなか「これは!」と思うものに巡り合いません。

ただ、時間とお金は少し余裕ができたわけですから、焦らずに色々と探してみたいと思います。

ちょっとは生活が変わるかな。

 

肩の力を抜いて働く

こんにちは、ちょびです。

 

私は昨年、パワハラ適応障害になってしまい、降格の上で異動しました。

ただ、比較的早く異動できたおかげで、そのあとは順調に回復し、またもとのポジション(係長)に復帰できるとの診断書をもらいました。

この診断書を書いてもらう際に、主治医に言われました。

「あなたは物事に正面から挑みすぎるのではないですか。もう少し受け流すようにしないと、また調子を崩すことになりますよ。」

 

以前、「責任感が強いのは損?」でも書いたのですが、私はどちらかというと責任感の強いタイプで何でも自分で処理してしまいます。

責任感が強いのは素晴らしいことだと思うのですが、肩の力を抜くことも時には必要なのかな、と反省しました。

私は今、先月退職した人の後始末に追われています。自分の業務はちょうど忙しくない時期でしたので、どうしようもない状況ではないのですが、仕事を押し付けられているな、いいように使われているな、という思いはあります。

そして、この前任者が未処理の仕事を大量に抱えていたため、何カ月も前の書類の対応をしています。

もちろん、仕事が未処理であることは私と全く関係ないのですから、ある程度割り切って処理するしかないのですが、何となく自分に非があるような気になって気分が落ち込みます。

おそらくこの辺の性格が、主治医に「物事に正面から挑みすぎる」と言われるゆえんかもしれません。

 

どうしたら肩の力を抜いて生きていけるのでしょう。

私の場合、性格的に仕事をしている間は肩の力が入ってしまうので、定期的に中断(休憩)を取ることにしました。それでも、幸い他の人と比べれば処理は速いので、業務が滞ることはなさそうです。

体調を崩しても思ったことは、家族の大切さです。仕事は大事だと思いますが、職場に私の代わりはいくらでもいます。でも、家庭に私の代わりはいません。家族にとって唯一人の父であり、夫であり、息子であることに改めて気付かされました。

人生を生きていると、大切なものは変わらなくても、優先順位が変わることがあると思います。仕事も大事ですが、私にとって大切なものは家族と健康であり、それ以外は妥協できることなんだと、今は思います。

これからは大切なものを見誤らずに生きていきたいと思います。

残業と評価

こんにちは、ちょびです。

 

夜遅くまで仕事を頑張っている人って、いますよね。私はあまり残業をしないので、そういう人を見ると「大変だな」と思います。

私の職場全体では残業は当たり前で、定時で帰る人の方が少ないです(子育て中の女性を除く)。なので、よく定時で帰る私は肩身の狭い思いをしています。

では、残業をしている人は「評価されるべき」なんでしょうか?

 

ここでちょっと問題になるのが、残業はあくまで労働時間の指標であって、業務量の指標ではないということです。仕事にかける時間が長ければ長いほど、たくさんの業務を処理しているように「見えます」が、実際の業務量はわかりません。

もちろん、ちゃんと仕事をしている人もたくさんいると思いますが、少なくとも私の職場では、残業自体が評価されて、時間当たりの処理量はあまり評価されません。

 

なぜこんなことが起きるのでしょうか?

これは私見ですが、今の上司たちが残業で評価されてきたからではないでしょうか。職場の評価方法は、基本的に今の上層部が決定します。今の上層部は自分が評価された方法を評価方法に採用しますから、昇進するのはやっぱり残業をする人たちです。

こうやって、残業が評価に直結する状況が受け継がれていくのではないかと思います。

 

では、これは適正な評価なのでしょうか?

 私は残業を評価の主体にすることには反対です。これでは、小さい子供のいる人、介護の必要な家族のいる人などは評価されないことになってしまいます。

会社だって、高い残業代を払っているのだから、それなりの成果がなければむしろ損をしていはずで、残業をする人が一律に評価されるのが間違った方針なのは確かです。

私は小さい子供いるため、あまり残業はできません。でも、勤務時間中はそれなりの仕事はしていると思っています。

ただ、そういう頑張りはあまり評価されないので、最近は少し疲れてきてしまいました。人間、評価されないのに頑張り続けるのは、なかなか難しいものです。

別に給料を上げろとか、昇進させろとかまでは言わないので、せめて頑張っていることを認めて、評価して欲しいなと思います。

管理職とマネジメント

こんにちは、ちょびです。

 

6月末で職場の再雇用の方が退職しました。

この人は4月から私の部署に来たのですが、体調がすぐれないという理由での退職です。

この人の仕事を引き継いだのですが、未処理の書類が大量に出てきて、今はひどい状態です。

私の部署では週に一回、部内で仕事の進捗状況について報告するのですが、この人はその場でそこまで処理が滞っていることを報告しませんでした。

そして、上司もその事実に気づかず、いざ辞めて大量の未処理の書類が見つかりました実はこの話は前段があって、4月に来た再雇用の人は、3月末に辞めた派遣の人から仕事を引き継いだんです。この派遣の人が未処理の書類をため込んでいて、それを再雇用の人は頑張って処理していたのですが、結局処理できずに6月末に辞める、という状況になりました。

 

上司は結局、仕事が滞ったまま引継ぎがされたことも把握していませんでした。

 

管理職の仕事は部下や仕事の管理、マネジメントのはずですが、実際にマネジメントができているかというと首を傾げてしまうことが多くあります。

なぜこんなことになってしまうのでしょう?

そもそも原因は、管理職に上げる際に、職場がマネジメント力を全く確認しないためだと思います。一般の社員がプレーヤーとして良好な成績を出して、昇進する形で管理職になるのが一般的です。

ただ、一般の社員が認められたのはプレーヤーとして力であって、マネジメント力ではありません。「名選手、名監督にあらず」の言葉通り、プレーヤーとしての能力とマネジメントの能力は全く別物です。にも関わらず、職場は名プレーヤーを管理職にしてしまいます。

私の職場の管理職は、おそらく仕事はできます。ただ、管理職としては二流だったので、人が辞めるまで問題に気付けませんでした。こういう組織は本当に多いと思います。

では、管理職はどうすればマネジメント力をつけることができるのでしょう?

これは私見ですが、マネジメント力以前にまずは部下との信頼関係を作ることが大切だと思います。部下のことも業務の進捗も、部下に嘘をつかれては管理のしようがありません。そのためには正しい報告が必要なりますが、人間、自分に不都合な情報は報告したくないものです。

もし怒られるなら言いたくないですし、報告しても何の助言も得られないなら、やはり言おうという気にはならないでしょう。

まずは部下と信頼関係を作り、本当のことを報告してもらえるようにする。そのことからマネジメントは始まるのではないかと思います。

責任感が強いのは損?

こんにちは、ちょびです。

 

責任感って大事ですよね。自分で言うのもなんですが、私は責任感の強い方だと思います。

仕事でも、あまり他人に頼らず(頼れず)、全部自分で抱えてしまうことも多いです。一方で、他人に頼られることは多く、それも断れずに抱えてしまいます。こういうのも強い責任感の裏返しなのかなと思います。

人として、責任感のあることは大事だと思うのですが、会社という組織で責任感が強いことは果たして「得」なのでしょうか?

 

日経ビジネス・オンラインで以下のような記事を読みました。

 

business.nikkeibp.co.jp

 

どうも責任感が強いのは、出世ではマイナスに働くようです。

確かにある程度出世した人は、「誰の責任か?」という話をよくするように感じます。本人が関わっていても、「自分に責任の一端がある」とは言わず、むしろ率先して犯人探しをする人も多いです。

上司には「部下の失敗は自分の責任」と言ってもらいたいのですが、実際には「お前の失敗はお前の責任、俺の失敗もお前の責任」という人が少なくないように思います。できれば、こういう上司は避けて通りたいものですが。

 

では、責任感が強いのは「損」なのでしょうか?

私はそうは思いたくありません。確かに出世する上ではマイナスかもしれませんが、そうやって出世した人は、少なくとも部下から信頼されません。周りの人間から信頼されないまま会社人生を歩んでも、晩年、または定年後は空しい人生を送ることになると思います。

ちゃんと責任感を持って仕事に取り組んでいる人は、周りからの信頼もありますし、いざという時、周りが助けてくれると思います(私も助けてもらいました)。

 

40年ほどある会社人生ですから、できれば出世も信頼も得たいところですが、どちらかしか手に入らないとしたら、出世はそこそこでも人に信頼される人間になりたいと思います。

何を楽しみに生きるか

こんにちは、ちょびです。

 

皆さんは、日々の楽しみはありますか?

私は、高校時代の友人と飲みに行くことが一番の楽しみです。

彼らは私と違い、いわゆる理系の職業についていて、はたから見ると充実した仕事をしているように見えます。

そんな彼らと話をすることはとても刺激的で、普段使わない頭をフル回転させているような気がします。

ただ、彼らも家族がいるので、会えても年に数回ほどで、なかなか日々の楽しみというわけにはいきません。

 

子供の成長は楽しみの一つですが、毎日、成長を感じるわけではありませんし、むしろ叱られるようなことばかりしている子供たちを見ると、疲れがたまることもしばしばです。

ヨシタケシンスケさんの「ヨチヨチ父」をご存知でしょうか?その中で、「子供の寝顔で疲れも吹っ飛ぶ」というのがあるのですが、そのオチを読んで、「まさしくその通り!」と思いました。小さいお子さんを育てているお父さんにはとても共感できると思うので、お勧めの本です。

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さて、友人ともそこまで頻繁に会わず、子供の成長は毎日は感じないとすると、何を日々の楽しみにすればよいのでしょう?

仕事にやりがいがあれば、仕事に楽しみを見出すこともできますね。仕事にやりがいがなくても、人間関係が良好ならちょっとした雑談を楽しむこともできるでしょう。

ただ残念なことに、私の仕事にはやりがいはなく、雑談をするほど和やかな職場でもないので(誤解のないように言っておきますが、嫌な人がいるわけではありません)、職場ではただ黙々と仕事をこなすだけ、といった感じです。

プライベートも子供の世話や家事に追われて、なかなか自分の時間を捻出できないのが実情です。

毎日平和に過ぎていくのだから、それ以上を求めるのは贅沢なのかもしれませんが、すべきことをするだけの日々はやっぱりちょっと疲れてしまいます。

 

ちょっとでも心の動くことを探して、毎日生きてます。