人工知能(AI)と仕事の未来

こんにちは、ちょびです。

 

最近、なかなか話題がなくて更新できていませんでした。

特に面白い話題ができたわけではないのですが、最近読んだ本が面白かったのでその話をしたいと思います。

その読んだ本というのは、「人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの(松尾豊 著)」です。

人工知能(AI)の歴史、現在の状況、今後の展望が分かりやすく書かれていて、初心者が理解するのにとても良い本だと思いました。

その中で、「機械学習」と「ディープラーニング」が出てくるのですが、この辺りが私はずっと分からなくて、この本を読んでなんとなく理解することができるようになりました。

ディープラーニング機械学習の一形態なのですが、機械学習では「特徴量」を人間が指定し、これを基にAIが個別の問題の特徴量から、もっともそれらしい答えを導き出します。この特徴量というのは、一種の目印であり、例えばネコなら「目が二つ」とか、「ヒゲがある」とか、「耳が三角」とか、そういう外形的特徴です。今までの機械学習はこういう特徴量を人間が設定し、それを基にAIが判断してきました。そのため、どういった特徴量を設定するか、ある種職人技のような技能が必要でした。

これに対してディープラーニングでは、特徴量をAI自体が設定します。詳しい理論は私にも理解できていないのですが、どうも、情報を一旦圧縮して元に戻す、という行為が鍵のようです。情報を一旦圧縮すると、情報量が減ります。この圧縮時に、大事な情報が欠落してしまっては元に戻りません。そこで、大事な情報は温存して、元に戻す際にあまり重要でない情報を省略する必要があります。AIはこの作業を何度も行い、何が大事な情報なのかを学びます。この大事な情報が、今まで人間の設定していた特徴量にあたるようです。特徴量とはつまり、その情報の根幹をなすもの、いわゆる「概念」なのです。ディープラーニングはAIが自分でものの概念を獲得した、という点で極めて画期的な技術だったのです。

概念が理解できれば、手書きの字でも判読できるようになりますし、入室してきた人が誰かを判断することができます。

 

2016年6月、GoogleはAIが自力でネコを認識した、と発表しました。

ニュース - Google、大規模人工ニューロンネットワークを用いた研究成果を紹介:ITpro

このニュースをお聞きになった方と多いと思います。これはGoogleがAIにYoutubeの画像を見せ、その中でAIがネコの概念を獲得した、というニュースです。

ちなみにディープラーニングが世界的に有名になったのは、2012年のILSVRC(大規模画像認識競技会)で、ジェフリー・ヒントン率いるトロント大学のチームが、今まで26%程度だったエラー率を、一気に17%程度にして優勝した出来事でした。この時に使われた技術こそディープラーニングであり、ジェフリー・ヒントンは現在、トロント大学Googleの両方で働いています。

ディープラーニングはAIが自分でものの概念を獲得するという点で、画期的な技術ですが、これで全ての問題が解決するわけではありません。画像は概念として理解しやすいものです。子供も最初に獲得する概念は具体的な物です。これに対して、私たちの周りにある概念はもっと抽象的です。言葉の概念、行動の概念、思考の概念などは、そもそも特徴量を設定することが非常に難しいものです。そのため、そのような概念を理解し、人間のような知能を持ったAIが登場するのはかなり先だと思われます。

では、人間のような知能でなければ、AIは知的ではないでしょうか?AIはすでにいくつかの分野で人間よりも「知的」な存在です。盤上ゲームでは人間に勝つAIがすでに登場していますし、そもそも電卓は人間が計算するよりずっと正確です。こうした特定の分野に秀でたAI(電卓はAIとは呼びませんが)はすでに世界中に存在しています。こうしたAIが未来の仕事の形を変えることになるのでしょう。

具体的にはどんなことが起きるのでしょうか?まず、ルールベースといわれる手法があります。これは、「AならばB」「CならばD」というルールを人間が設定し、そのルールに合わせて機械に判断させる方法です。ルールが明確な場合、これで十分機能するため、定型的な業務は代替可能と考えられます。

ただ、ルールベースはルール自体を人間が設定するため、ルールが大量にあったり、ルール同士が矛盾したりするとうまく機能しません。これに対して機械学習は、特徴量は人間が設定しますが、それを元にルールをAIが設定するため、膨大な量のルールが存在する場合や、そもそも人間がルール自体を理解できていない場合にも利用可能です。ある一定の判断基準で、その都度対応する中間管理職的な業務なら代替可能かもしれません。

ディープラーニングは概念自体を理解していますので、ほぼ人間のような判断ができます。それを大量に、高速に行うのですから、普通の人間では太刀打ちできません。ただし、ディープラーニングは新しい概念を作り出すことはできませんので、そういった創造的な仕事では人間が行う余地があります。ただし、人間と同じように概念を理解できるのはまだまだ先のようですので、当分はこのような心配は必要ないと思います。

私たちの未来の仕事はどんなものでしょう。おそらく伝票を眺めながら入力し続ける仕事(データ入力作業)やレジ係(単純な接客業)は、減っていくのだと思います。また、専門知識が必要だが、一定のルールで行う仕事(銀行の融資担当やトレーダー)も絶対数は少なくなっていくでしょう。

逆に対人的な仕事やAIと協調して行う仕事は、今後ますます重要になっていくのだと思います。

皆さんの仕事にはどんな未来が待っているでしょう。

責任感の違い

こんにちは、ちょびです。

 

先日、英語の先生に日本語の「責任」という言葉に対する英語が非常に多いという話を聞きました。いくつか挙げてみると、

responsibility(結果に対して負う責め)

charge(権限がある)

fault(失敗、落ち度)

blame(失敗に対する非難)

commitment(契約上の責任)

accountability(法的な説明責任)

liability(返済の責任)

duty(道徳的な責任)

など、かなりありますね。

これは日本と英語圏での「責任」に対する考え方の違いを端的に表したものだと思います。言葉が細かく分類されるということは、それぞれが異なった背景を持ち、異なった意味で使われるということです。これに対して、日本では「責任」の守備範囲がかなり広く、

1 立場上当然負わなければならない任務や義務。

2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。

3 法律上の不利益または制裁を負わされること。

(goo国語辞書より)

言葉の定義が曖昧ですね。

 

日本では個人と組織の責任が混同される場面もしばしば見受けられます。

例えば、あなたが店員だとして、あなた以外の店員が起こした失敗にあなたは謝りますか?おそらく、相手がお客さんなら謝ると思います。でも、よく考えればあなたは失敗していません。あなたが失敗した人の上司なら監督責任がありますが、そうでないならなぜ謝るのでしょうか。それは、個人と組織の責任が混同されているからだと思います。店員の失敗は組織の失敗ですから、組織の一員であるあなたは個人としてではなく、組織として謝罪しているのです。

これは聞いた話ですが、海外の食堂でオーダーが違うと抗議したら、間違えた人はその対応をしましたが、隣にいた店員はお客に「間違われて大変だったね」と話しかけたそうです。日本なら、「どうも申し訳ありません」と謝る場面でしょう。

海外では、失敗は個人の責任です。もちろんその個人に対して監督責任がある組織や上司にも責任はあると思いますが、個人の責任がきちんと問われます。

これに対して、日本では責任の所在をあまり明確にしません。仕事でも現場で書類を作成し、会議で検討し、上司が決裁して物事が決まります。これでは、失敗したときに、どこに責任の所在があるのか分かりません。

日本のように国土が狭く、同質性の高い国では、摩擦を少なくするために協調を大切にしています。そのため、責任の所在をはっきりさせて摩擦を起こすより、みんなで決めてみんなで責任をとるスタイルを好むのだと思います。

このスタイルでは、個人は相手(顧客など)に対して責任を負っているというより、所属する組織に対して責任を負っています。これが拡張されると、日本人は日本というコミュニティーに責任を負っていることになるため、社会的に非難されるような行動を慎む、秩序を重んじる国民性につながっていくのだと思います。

秩序を重んじる国民性は、例え東日本大震災のような大規模災害においても、秩序を持って行動する、といった行為につながっていると考えられます。

ただ、日本人はもう少し個人の責任と向き合った方がよいのではないかと思います。

個人の責任は個人の義務とつながります。個人の義務は個人の権利とつながります。組織の責任ばかりに目が向かうと、組織の権利が重要視され、個人の権利がないがしろにされる可能性があります。

私はパワハラのために適応障害になりましたが、そのことを正しく本人にも組織にも抗議できませんでした。個人として主張すべきことは主張する、それができなかったことは今も後悔しています。

その一方で、私以外の人も同じ職場でパワハラに悩みながら仕事をしていると聞き、組織の理屈、組織の権利だけが幅をきかせ、一方で個人は組織の義務、組織の責任を背負わされていると感じます。

組織の中での責任も大切ですが、まずは個人として当然の権利があるべきではないでしょうか。

ただし、個人の権利は個人の義務を果たした人に認められるべきであり、義務も果たせない人間が自分の権利ばかり声高に叫ぶのは、間違った個人主義だと思います。

何事もバランスが大切だと思いますが、もう少し個人の責任と権利に目を向けるべきではないでしょうか。

 

ちょっと一息

こんにちは、ちょびです。

 

私のブログは主に仕事(キャリア)絡みのことが多いです。

スマホのブックマークもニュースサイトばかり、Podcastもニュースだけ、と「趣味はニュースです。」という感じになってます。

以前、この話を英会話の先生にしたら、ため息をつかれてしまいました(笑)

ただ、ニュース好きではありますが、好きなニュース、好きではないニュースがあり、好きなのは政治、経済、国際情勢、好きではないのは事件系やゴシップです。

なんか、お固い人間を想像しますが、実際はそれほど固いわけでもなく、お酒大好き、くだらない冗談大好きです。

私はとても小心者で、子供のこと、自分の健康、今後のこと、家族のことなどしょっちゅう心配ばかりしています。でも、ニュースを見ているとそれらをことを忘れることができます(忘れるのがいいことかは別として)。

トランプ大統領の動静や今後の北朝鮮習近平主席の野望など、世界の話題を見ていると、自分の心配事が小さく感じます。まあ、北朝鮮からミサイルが飛んできたらどうやって子供たちを守るか、とか別の悩みは発生するのですが。。。

 

こんな話をつらつらと書いたのは、今回のタイトルが、ちょっと一息、だからです。いつも固い投稿が多いので、たまには思ったことをだらだらと書いてみようと思います。

今、一番気になることは、最近知り合った人と友人になれるか、です。これは、「新しい友達が欲しい、でも」、で取り上げています。

他に気になることは、バイクにETCを積もうかな、とかです。ただ、もう寒くなっているので、実際には次の春まで遠出はしないと思います。どうしたものか、です。

体調の話だと、適応障害はいったい今後どうなるのか、と思います。まあ、適応障害は正直治っていると思うのですが、月曜の朝が調子が悪い、とか時々心配で胸が苦しくなる、などは今でもあって、軽い不安症なのかな、と思ってます。

処方された薬を飲むと、多少楽になるのですが、よく考えると時々胸が苦しくなるのは適応障害になる前からなので、元々そういう人間だった、ということだと思っています。

メンタルがもう少し強いといいなと思うのですが、このメンタルが私らしさにもつながっています。心配事が多いので、細かいこともよく気がつきます。他の人の顔色もよく分かり、相手が何を言いたいかも何となく分かります。

自分の良さを生かしながら、自分の弱みをできるだけ目立たないようにしたい。そのためには環境も大事だと思います。強みと弱みは表裏一体、いわゆる個性ですから、その個性が生かせる環境にあれば、力を発揮できるでしょうし、個性が生かせなければ、ダメな人と評価されるでしょう。

なんだか、いつもの感じですね。

あくまで今回はちょっと一息ですので、もう少し軽い話題で。

お酒が飲める人にとって、飲酒はとても楽しいものです。

思わず羽目を外してしまうこともありますよね。酔った勢いで絡んだり、服を脱いだり。。。こうなると楽しいお酒も反省のタネです。

私もお酒の席では時々失敗します。飲んでいるときはかろうじて大丈夫なんですが、他の人と別れると理性が外れるのか、体力の限界か、寝てしまうことがしばしばです。それでも慣れ親しんだ電車ですので(私は電車通勤です)、普段は降りる駅の直前で目が覚めるのですが、時々そのまま寝過ごして、遙か彼方の駅まで行ってしまいます。学生の頃は眠り続けて、始発~終点~始発、と寝続けたことがありました。

最近は特にすぐ酔ってしまうので、寝過ごさないようにするのが大変です。

お酒は飲んでも飲まれるな、焼き肉焼いても家焼くな、ですね。

新しい友達が欲しい、でも

こんにちは、ちょびです。

 

突然ですが、タイトルのとおり、新しい友達が欲しいです。

私は職場には基本的に友達と言えるほどの人はおらず、職場では歓迎会、忘年会などのイベント時に飲み会に参加するぐらいです。

子供が小さいこともあり、そもそも飲み会自体あまり参加できないのですが、参加しても職場の同僚にそれほど興味もわかず、飲むだけ飲んだら帰る、という感じです。

 

友人と言えるのは、高校時代の数人、大学時代の数人、以前職場が一緒だったアメリカ人が一人、ぐらいでしょうか。

新しいことを始める時間もなかなか取れないため、新しく人と知り合うこともありません。

そんな中、職場で半年ほど研修を受けることになり、別の部署の数人と週に1回、2時間顔を合わせる機会ができました。その中に20代の女性がいて、是非友達になりたい、と久しぶりに思いました。

かわいいから、というのもあるんですが、民間から転職してきたそうで、話をしたら面白いのでは?と思って機会をうかがっていました。

ちょうどアメリカ人の友人と飲みに行く予定があったので、それに誘ったら快く承知してくれました。私としては、最終的に二人で飲みに行きたいと思っているのですが、いきなり二人はハードルが高いので、ちょっと変わった飲み会に誘って実績作りからと思っていました。

アメリカ人との飲み会は、基本英語なので、思ったことをなかなか伝えられません。それではストレス溜まるな~と思い、それとは別にお茶に誘ったのですが、こちらは当初色よい返事をもらったものの、その後の日程調整が思うように進まず、別の話が出てきたりで結局立ち消えになりました。

たぶん、別の機会で同じ研修を受けてる人と一緒に食事をするのだと思いますが、それではなかなか友達にはなれないのでは、と思い、ちょっとふてくされています。

私は、彼女も私に興味があって、時間を割いて二人で会ってもいい、友達になってもいい、と思っていると感じたのですが、どうやら私が思うほどには彼女は私に興味がなかったようです。

勝手な話ですが、私は自分の興味のある人が好きなので、自分にあまり興味を示さない人には急激に興味が失せます。

今回の場合だと、「私に興味がある!」から「そこまでではない」という判断に変わったので、今は完全に彼女への興味が失せました。この調子だと、友人との飲み会も適当に理由をつけて断るかもしれません。自分に興味がない人に何らかの利益を与えるほど、私は博愛主義ではありません。むしろゴリゴリの自己中心主義です。

我ながら狭量だな~と思うのですが、期待が大きかった分、とってもがっかりしていて、「かわいさ余って憎さ百倍」状態です。

人生、なかなか面白いことはありませんね。

キャリアを会社任せにしない

こんにちは、ちょびです。

 

織田信長幸若舞の「敦盛」の一節、「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり」を好んだといいます。

当時の平均寿命は分かりませんが、50年で人生を全うした、というイメージでしょうか。

変わって現在の日本では、平均寿命は80歳ぐらいです。しかし、政府がこんな推進室を作るぐらいですから、今後は人生100年時代に突入すると思います。

平成29年9月8日 人生100年時代構想推進室看板掛け及び訓示 | 平成29年 | 総理の一日 | 総理大臣 | 首相官邸ホームページ

 

その辺りについては、以前に書いたことがありますので、そちらもご覧ください。

100年人生をどう生きますか? - ちょびののぞき窓

 

さて、今回のタイトルは「キャリアを会社任せにしない」です。

経済産業省が「必要な人材像とキャリア構築支援に向けた検討WG」というのを立ち上げていますが、その中で委員の西村創一朗さんという方の資料の一部がちょっとおもしろかったのでご紹介します。

ちなみに資料はこちらから見ることができます。

必要な人材像とキャリア構築支援に向けた検討ワーキング・グループ(人材像ワーキング・グループ)(第1回)‐配布資料(METI/経済産業省)

 

この中で西村さんは、企業と従業員の関係を「御恩と奉公」ととらえています。まるで江戸時代のようですが、300年近く続いた江戸時代は、日本人のパーソナリティにも大きな影響を与えているのかもしれません。

さて、では企業が与える「御恩」とは、具体的には何でしょう? 資料の中では、終身雇用、年功賃金、解雇規制が挙げられています。逆に従業員が返す「奉公」は、長時間労働、単身赴任、副業禁止が挙げられています。

なるほど、バブル崩壊前であれば、これでGive&Takeの関係が成立していたのだと思います。ですが、今はせいぜい解雇規制が残るくらいで(これも怪しいところがありますが)、御恩は「今、雇用している」ぐらいでしょう。ところが、従業員からの奉公は今も変わらず求められます。この関係の変化を西村さんは「奉公」が「搾取」に変わった、と表現しています。

Give&Takeの関係が成立していたころは、一生同じ会社で働いて、給料も右肩上がりですから、キャリア形成も会社任せで問題ありませんでした。

しかし、今後人生が100年となると、一生同じ会社で働く可能性も低くなりますし、給与も思ったように上がらなくなるでしょう。すると、キャリアを会社任せにしては、いざというときに路頭に迷ってしまいます。

そのためにも今後はキャリアを自分で設計する必要が出てきます。具体的には、広く社会全般で利用可能なスキル(ユニバーサルスキル)の取得が重要だと思います。例えばコミュニケーションスキルやマネジメント、コーチング、ロジカルシンキングのスキルでしょうか。また、語学や会計、技術等の専門的なスキルも持ち運びが可能(ポータビリティ)という点では、ユニバーサルスキルと言えるかもしれません。

通常の会社では、スキル向上のためにOJT(On the Job Training)をよく利用します。このトレーニングで手に入るスキルは、ほとんどの場合、その会社に特化した知識や技術のため、広く社会全般で利用することは難しいと思います。ただ、会社としては、社員がユニバーサルスキルを手に入れるより、会社に特化したスキルを手に入れてくれた方が、短期的には会社の利益につながりますので、OJTを今後も積極的に活用すると思います。

社員の側としては、会社がトレーニングをしてくれないので、自分で実施するしかありません。そして、今後のために必要な知識、技術が得られるのなら、転職することも選択肢に入れて考える時代だと思います。その結果として、一時的に給与が下がっても、人生100年と考えれば、それは必要な投資なのではないでしょうか。

ただし、転職は目的とともに、時期も非常に大事です。今が動きべきタイミングかどうかもしっかり見極めて、現在の会社にとどまって力を蓄えることも選択の一つであることも覚えておくべきだと思います。

私は、現在の仕事に不満があり、将来的には転職したいと考えていますが、子供が小さいうちは福利厚生の整った現在の環境で仕事をするべきだと思っています。そして子供がある程度手を離れたとき、タイミング良く転職できるように、今はいろいろな勉強をしたいと思っています。

皆さんも、自身のキャリアを会社任せにせず、自分で設計することを強くお奨めします。

器用貧乏です。どうしよう?

こんにちは、ちょびです。

 

私ははっきり言って、器用貧乏です。

学校の成績はほとんどが5段階評価の4で、5があまりない代わりに3もほとんどありませんでした。

それでも、高校時代は化学や数学が得意だったので、理系に進みました。大学院まで進学して、民間企業に就職したものの、当時は就職氷河期で希望の企業に就職できず地元の小さな民間企業に就職。その時に、「自分はこんな企業で終わる人間じゃない。もっと大きな所で働くべき人間だ。」と思い、試験だけで就職出来る公務員に転職しました。

大学職員は途中で非公務員になりましたが、仕事の内容も組織も大きく変わることはなく、15年以上勤めてきました。

40歳を過ぎて今思うことは、器用な自分には官僚的な大組織は合わない、ということです。

大学は非公務員になった後も、典型的な官僚組織で、完全な分業制です。経理、人事、総務、教務などはもちろんのこと、大規模大学では学部ごとに事務があり、本部がありで、各系統内で人事異動が完結し、他の系統に異動することはめったにありません。

すると、自分の領域のことは詳しくなっても、他の領域のことは分からない(分かろうとしない)、「専門の人」を量産することになります。

それでも、その専門性が外部で通用すればまだ救いがあるのですが、その組織に特化した専門性ですので、外部では全く役に立たない、「○○大学専用の人」ができあがります。

働かせる側としては、その組織のことをよく知っていて、分業にも適した人ができるので、悪いことではありません(なので、この方法を採用しています)。

しかし、働く側として、その組織以外では役に立たない人になってしまいますので、組織と運命共同体となってしまい、何か組織に問題が発生しても逃げ出すことができません。

そして、官僚的組織で一般的な分業制は、器用な人には損な面を抱えています。

経済学の考え方で、比較優位というのがあります。

詳しくは、こちら。比較優位 - Wikipedia

要するに、自分の得意なことに特化することで、全体として利益が増える、というものです。

これを仕事に当てはめてみると、苦手なことは他人に任せて、それぞれが自分の得意なことをすれば全体として利益が増える、ということになります。

ただ、これにはちょっと問題があります。産業であれば、好き・嫌いというのは無いかもしれませんが、人間は好き・嫌いがあります。すると、みんなが嫌がるような仕事は誰がすればいいのでしょう?

比較優位では、能力が無い人を基準にして、順番にその人の得意なことをさせることになります。なので、一つのことしかできない人はその一つのことをしますが、色んなことができる人は、他の人が苦手なことをすることになります。

すると、器用な人は本人の好き・嫌いと関わりなく、他の人が苦手なことをすることになります。

他の人が苦手な仕事が、本人も本当は苦手だったらどうでしょう。そしてそれが、とても地味であまり評価されない仕事だったとしたら?

他の人は自分の得意なことで評価もされるのに、器用な人は自分の苦手なことをして評価もされない、ということになりかねません。

もちろん、どんな仕事も適切に評価されればこういう事態は避けられるのかもしれませんが、実際にはそうはいかないものです。

分業制の進む組織では、器用な人はまさしく「器用貧乏」になってしまいやすいと思います。

では、分業制の進んでいない組織とは、どんな組織でしょう。

やはり規模の小さい組織ではないでしょうか。

中小企業では、一人で何役もこなさなければ仕事が回らないですから、一つの高い専門性より、幅広い知識が求められることが多いと思います。

ベンチャーも、規模も小さいですし、何より細かく分業制を設計している余裕がありませんので、受けた仕事はなんでもこなす、器用な人が重宝されると思います。

私はここに、自分の可能性を見いだしました。

分業制の進んだ組織というのは、大企業であることが多く、給与や福利厚生の面では、とても魅力的です。一方で、器用な人にとっては、魅力的な仕事がない(させてもらえない)可能性もあります。

給与や福利厚生といった、大企業の魅力は、子育てや介護の時にはとてもよいですが、それらが一段落したら、中小企業やベンチャーに転職してもよいのでは?と、最近は思うようになりました。

器用貧乏の方、器用を生かす選択肢としていかがでしょう?

インセンティブは毒?

こんにちは、ちょびです。

 

主に仕事上の話ですが、従業員にやる気を出してもらうためにインセンティブを使う企業というのは多いと思います。

例えば、ノルマを達成すれば報奨金が出たり、売り上げがトップになれば社長賞が出たり、他にも基本給が上がる、役職が上がる、周りに認められる・評価される、というのもある意味でインセンティブと言えると思います。

こうした広い意味を持つインセンティブですが、今回は「これを達成すれば、こういう報酬がもらえますよ。」という「If-Then型」のインセンティブについてお話ししたいと思います。

日本は元々、「If-Then型」のインセンティブをあまり積極的に導入していなかったと思います。年功序列に横並び、終身雇用では、あまり極端なインセンティブを用意しても全体の調和が乱れるため、かえって悪影響を及ぼしかねません。評価にしても昇進にしても極端に差がつかないようになっていました。

これが崩れたのがバブル崩壊後で、人件費を抑制したい企業は評価に基づいた賃金制度を導入し、業績が目標に達成しない多数の給料を下げ、スター社員にだけ高い給料を払う方法として、インセンティブも徐々に浸透してきたのではないでしょうか。

海外(特にアメリカ)では飛び抜けた業績を出した人間に、これまた飛び抜けたインセンティブを与えるのが一般的なようです。こういった国は元々、仕事に人間がくっついている「ジョブ型」といわれる雇用体系を取っており、「あなたの仕事はここからここまで」、「あなたの目標はこれ。達成すればたくさんお金を払うし、いついつまでに達成できなかったらクビね。」という分かりやすくて、とってもシビアな働き方をしています。

 

さて、この「If-Then型」のインセンティブですが、今の時代には実はあまり役に立たない、という研究結果が出ています。

「If-Then型」のインセンティブには、「物事に集中させる」という効果があり、一定のルールに従って作業を行う場合、とても効力を発揮します。

一方で、この「物事に集中させる」という効果は、視野や思考を狭くするという副作用があり、広い視野でものを考えなければならないとき、逆にその人をゴールから遠ざけてしまうのです。

これはかなり以前から社会科学の世界で言われていることなのですが、世間的にはあまり認知されていません。

では、現代のあるべきインセンティブとはなんでしょうか?

それは、また別の機会に書きたいと思います。

 

上記の話について、もしご興味があればTED Talkの「やる気に関する驚きの科学」を是非ご覧ください。

ダニエル・ピンク: やる気に関する驚きの科学 | TED Talk