器用貧乏です。どうしよう?
こんにちは、ちょびです。
私ははっきり言って、器用貧乏です。
学校の成績はほとんどが5段階評価の4で、5があまりない代わりに3もほとんどありませんでした。
それでも、高校時代は化学や数学が得意だったので、理系に進みました。大学院まで進学して、民間企業に就職したものの、当時は就職氷河期で希望の企業に就職できず地元の小さな民間企業に就職。その時に、「自分はこんな企業で終わる人間じゃない。もっと大きな所で働くべき人間だ。」と思い、試験だけで就職出来る公務員に転職しました。
大学職員は途中で非公務員になりましたが、仕事の内容も組織も大きく変わることはなく、15年以上勤めてきました。
40歳を過ぎて今思うことは、器用な自分には官僚的な大組織は合わない、ということです。
大学は非公務員になった後も、典型的な官僚組織で、完全な分業制です。経理、人事、総務、教務などはもちろんのこと、大規模大学では学部ごとに事務があり、本部がありで、各系統内で人事異動が完結し、他の系統に異動することはめったにありません。
すると、自分の領域のことは詳しくなっても、他の領域のことは分からない(分かろうとしない)、「専門の人」を量産することになります。
それでも、その専門性が外部で通用すればまだ救いがあるのですが、その組織に特化した専門性ですので、外部では全く役に立たない、「○○大学専用の人」ができあがります。
働かせる側としては、その組織のことをよく知っていて、分業にも適した人ができるので、悪いことではありません(なので、この方法を採用しています)。
しかし、働く側として、その組織以外では役に立たない人になってしまいますので、組織と運命共同体となってしまい、何か組織に問題が発生しても逃げ出すことができません。
そして、官僚的組織で一般的な分業制は、器用な人には損な面を抱えています。
経済学の考え方で、比較優位というのがあります。
詳しくは、こちら。比較優位 - Wikipedia
要するに、自分の得意なことに特化することで、全体として利益が増える、というものです。
これを仕事に当てはめてみると、苦手なことは他人に任せて、それぞれが自分の得意なことをすれば全体として利益が増える、ということになります。
ただ、これにはちょっと問題があります。産業であれば、好き・嫌いというのは無いかもしれませんが、人間は好き・嫌いがあります。すると、みんなが嫌がるような仕事は誰がすればいいのでしょう?
比較優位では、能力が無い人を基準にして、順番にその人の得意なことをさせることになります。なので、一つのことしかできない人はその一つのことをしますが、色んなことができる人は、他の人が苦手なことをすることになります。
すると、器用な人は本人の好き・嫌いと関わりなく、他の人が苦手なことをすることになります。
他の人が苦手な仕事が、本人も本当は苦手だったらどうでしょう。そしてそれが、とても地味であまり評価されない仕事だったとしたら?
他の人は自分の得意なことで評価もされるのに、器用な人は自分の苦手なことをして評価もされない、ということになりかねません。
もちろん、どんな仕事も適切に評価されればこういう事態は避けられるのかもしれませんが、実際にはそうはいかないものです。
分業制の進む組織では、器用な人はまさしく「器用貧乏」になってしまいやすいと思います。
では、分業制の進んでいない組織とは、どんな組織でしょう。
やはり規模の小さい組織ではないでしょうか。
中小企業では、一人で何役もこなさなければ仕事が回らないですから、一つの高い専門性より、幅広い知識が求められることが多いと思います。
ベンチャーも、規模も小さいですし、何より細かく分業制を設計している余裕がありませんので、受けた仕事はなんでもこなす、器用な人が重宝されると思います。
私はここに、自分の可能性を見いだしました。
分業制の進んだ組織というのは、大企業であることが多く、給与や福利厚生の面では、とても魅力的です。一方で、器用な人にとっては、魅力的な仕事がない(させてもらえない)可能性もあります。
給与や福利厚生といった、大企業の魅力は、子育てや介護の時にはとてもよいですが、それらが一段落したら、中小企業やベンチャーに転職してもよいのでは?と、最近は思うようになりました。
器用貧乏の方、器用を生かす選択肢としていかがでしょう?