好きなことがない

こんにちは、ちょびです。

 

自分で言うのもなんですが、私はなかなか仕事はできる方だと思います。

昔の書類を眺めていればそこに何となく法則性が見えてきますし、事前にある程度のスケジュールを立てて計画的に仕事を進めることも比較的得意です。

結果、新しい仕事を任されても、「彼は自分でするから大丈夫」となってしまい、誰もやり方を教えてはくれません。

また、気が付けば一生懸命仕事をしてしまい、「今日は頑張らないでおこう!」と思ってもやっぱり頑張ってしまいます。

目の前に何かあると、反射的にやってしまうみたいです。

ただ、仕事は決して好きなわけではなく、朝は毎日ため息をつきながら出勤しています。

 

私にとって、一番大切なのは家族です。東日本大震災の時に、「自分にとって本当に大切なものはなんだろう?」と考え、以下の結論に至りました。

1.家族

2.健康

3.多少のお金

これだけあれば、たぶん大丈夫です。もちろん、欲しい物を数えればキリがないのですが、これだけあれば不幸ではありません。

これでそれなりに幸せ、としばらく思っていたのですが、最近は多少考えが変わりました。

もちろん、大切なものも順位も変わってはいないのですが、もう少し何かを望んでもいいのかな、と思っています。

物を欲しがればキリがないので、物以外の「モノ」が欲しいと思いだしました。

知識、経験、友人など、お金は必要ですがお金では買えないモノが最近は欲しいです。

ここでタイトルにつながるのですが、私には好きなことがないことに気が付きました。

好きなことがあれば、それを中心に欲しいものを考えればよいのですが、そもそも好きなことがないので、好きなこと探しからスタートです。

ただ、改めて好きなことと言われても、今までずっと我慢してきたので、自分が何を好きだったかわからなくなっていました。

 では、何を我慢していたのでしょう?

子供が生まれる前(8年ほど前)は、仕事もバリバリ、友人としょっちゅう飲みに行って、仕事帰りにジムに行く、という生活をしていました。

お金はあまり貯まりませんが、周りにも認められるし、体調も良いしで充実していたと思います。

そんな生活も子供が生まれて一変しました。毎日可能な限り定時で帰り、飲みに行く回数も減らし、ジムも行かなくなりました。

とにかく家で子供を面倒をみる、そんな生活になったのです。

子供中心の生活では、大人は何かと我慢をします。

休みの日も子供の予定に合わせて、自分の服を見に行く時間もありません。

本屋をぶらぶらすることもなくなり、本を読むことも減りました。

お金だって、子供のことが中心になり、自分のための出費は控えるようになりました。

当たり前と言えば当たり前のことです。

親が欲しいと思って生まれた子供ですから、できることはなんだってするべきだと思います。

ただ、だからと言って自分の好きなことが思い出せなくなるのは、果たして健全なのでしょうか。

今は仕方ないですが、子供たちが大きくなれば、自分のために時間を使うことは自然なことです。

その時、自分の好きなことがわからない、思い出せない、というのはなかなか悲しいことだと思います。

時間ができたとき、子供以外に何もない自分にはなりたくないので、もう一度自分の好きなことを探したいと思います。