新しい友達が欲しい、でも

こんにちは、ちょびです。

 

突然ですが、タイトルのとおり、新しい友達が欲しいです。

私は職場には基本的に友達と言えるほどの人はおらず、職場では歓迎会、忘年会などのイベント時に飲み会に参加するぐらいです。

子供が小さいこともあり、そもそも飲み会自体あまり参加できないのですが、参加しても職場の同僚にそれほど興味もわかず、飲むだけ飲んだら帰る、という感じです。

 

友人と言えるのは、高校時代の数人、大学時代の数人、以前職場が一緒だったアメリカ人が一人、ぐらいでしょうか。

新しいことを始める時間もなかなか取れないため、新しく人と知り合うこともありません。

そんな中、職場で半年ほど研修を受けることになり、別の部署の数人と週に1回、2時間顔を合わせる機会ができました。その中に20代の女性がいて、是非友達になりたい、と久しぶりに思いました。

かわいいから、というのもあるんですが、民間から転職してきたそうで、話をしたら面白いのでは?と思って機会をうかがっていました。

ちょうどアメリカ人の友人と飲みに行く予定があったので、それに誘ったら快く承知してくれました。私としては、最終的に二人で飲みに行きたいと思っているのですが、いきなり二人はハードルが高いので、ちょっと変わった飲み会に誘って実績作りからと思っていました。

アメリカ人との飲み会は、基本英語なので、思ったことをなかなか伝えられません。それではストレス溜まるな~と思い、それとは別にお茶に誘ったのですが、こちらは当初色よい返事をもらったものの、その後の日程調整が思うように進まず、別の話が出てきたりで結局立ち消えになりました。

たぶん、別の機会で同じ研修を受けてる人と一緒に食事をするのだと思いますが、それではなかなか友達にはなれないのでは、と思い、ちょっとふてくされています。

私は、彼女も私に興味があって、時間を割いて二人で会ってもいい、友達になってもいい、と思っていると感じたのですが、どうやら私が思うほどには彼女は私に興味がなかったようです。

勝手な話ですが、私は自分の興味のある人が好きなので、自分にあまり興味を示さない人には急激に興味が失せます。

今回の場合だと、「私に興味がある!」から「そこまでではない」という判断に変わったので、今は完全に彼女への興味が失せました。この調子だと、友人との飲み会も適当に理由をつけて断るかもしれません。自分に興味がない人に何らかの利益を与えるほど、私は博愛主義ではありません。むしろゴリゴリの自己中心主義です。

我ながら狭量だな~と思うのですが、期待が大きかった分、とってもがっかりしていて、「かわいさ余って憎さ百倍」状態です。

人生、なかなか面白いことはありませんね。

キャリアを会社任せにしない

こんにちは、ちょびです。

 

織田信長幸若舞の「敦盛」の一節、「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり」を好んだといいます。

当時の平均寿命は分かりませんが、50年で人生を全うした、というイメージでしょうか。

変わって現在の日本では、平均寿命は80歳ぐらいです。しかし、政府がこんな推進室を作るぐらいですから、今後は人生100年時代に突入すると思います。

平成29年9月8日 人生100年時代構想推進室看板掛け及び訓示 | 平成29年 | 総理の一日 | 総理大臣 | 首相官邸ホームページ

 

その辺りについては、以前に書いたことがありますので、そちらもご覧ください。

100年人生をどう生きますか? - ちょびののぞき窓

 

さて、今回のタイトルは「キャリアを会社任せにしない」です。

経済産業省が「必要な人材像とキャリア構築支援に向けた検討WG」というのを立ち上げていますが、その中で委員の西村創一朗さんという方の資料の一部がちょっとおもしろかったのでご紹介します。

ちなみに資料はこちらから見ることができます。

必要な人材像とキャリア構築支援に向けた検討ワーキング・グループ(人材像ワーキング・グループ)(第1回)‐配布資料(METI/経済産業省)

 

この中で西村さんは、企業と従業員の関係を「御恩と奉公」ととらえています。まるで江戸時代のようですが、300年近く続いた江戸時代は、日本人のパーソナリティにも大きな影響を与えているのかもしれません。

さて、では企業が与える「御恩」とは、具体的には何でしょう? 資料の中では、終身雇用、年功賃金、解雇規制が挙げられています。逆に従業員が返す「奉公」は、長時間労働、単身赴任、副業禁止が挙げられています。

なるほど、バブル崩壊前であれば、これでGive&Takeの関係が成立していたのだと思います。ですが、今はせいぜい解雇規制が残るくらいで(これも怪しいところがありますが)、御恩は「今、雇用している」ぐらいでしょう。ところが、従業員からの奉公は今も変わらず求められます。この関係の変化を西村さんは「奉公」が「搾取」に変わった、と表現しています。

Give&Takeの関係が成立していたころは、一生同じ会社で働いて、給料も右肩上がりですから、キャリア形成も会社任せで問題ありませんでした。

しかし、今後人生が100年となると、一生同じ会社で働く可能性も低くなりますし、給与も思ったように上がらなくなるでしょう。すると、キャリアを会社任せにしては、いざというときに路頭に迷ってしまいます。

そのためにも今後はキャリアを自分で設計する必要が出てきます。具体的には、広く社会全般で利用可能なスキル(ユニバーサルスキル)の取得が重要だと思います。例えばコミュニケーションスキルやマネジメント、コーチング、ロジカルシンキングのスキルでしょうか。また、語学や会計、技術等の専門的なスキルも持ち運びが可能(ポータビリティ)という点では、ユニバーサルスキルと言えるかもしれません。

通常の会社では、スキル向上のためにOJT(On the Job Training)をよく利用します。このトレーニングで手に入るスキルは、ほとんどの場合、その会社に特化した知識や技術のため、広く社会全般で利用することは難しいと思います。ただ、会社としては、社員がユニバーサルスキルを手に入れるより、会社に特化したスキルを手に入れてくれた方が、短期的には会社の利益につながりますので、OJTを今後も積極的に活用すると思います。

社員の側としては、会社がトレーニングをしてくれないので、自分で実施するしかありません。そして、今後のために必要な知識、技術が得られるのなら、転職することも選択肢に入れて考える時代だと思います。その結果として、一時的に給与が下がっても、人生100年と考えれば、それは必要な投資なのではないでしょうか。

ただし、転職は目的とともに、時期も非常に大事です。今が動きべきタイミングかどうかもしっかり見極めて、現在の会社にとどまって力を蓄えることも選択の一つであることも覚えておくべきだと思います。

私は、現在の仕事に不満があり、将来的には転職したいと考えていますが、子供が小さいうちは福利厚生の整った現在の環境で仕事をするべきだと思っています。そして子供がある程度手を離れたとき、タイミング良く転職できるように、今はいろいろな勉強をしたいと思っています。

皆さんも、自身のキャリアを会社任せにせず、自分で設計することを強くお奨めします。

器用貧乏です。どうしよう?

こんにちは、ちょびです。

 

私ははっきり言って、器用貧乏です。

学校の成績はほとんどが5段階評価の4で、5があまりない代わりに3もほとんどありませんでした。

それでも、高校時代は化学や数学が得意だったので、理系に進みました。大学院まで進学して、民間企業に就職したものの、当時は就職氷河期で希望の企業に就職できず地元の小さな民間企業に就職。その時に、「自分はこんな企業で終わる人間じゃない。もっと大きな所で働くべき人間だ。」と思い、試験だけで就職出来る公務員に転職しました。

大学職員は途中で非公務員になりましたが、仕事の内容も組織も大きく変わることはなく、15年以上勤めてきました。

40歳を過ぎて今思うことは、器用な自分には官僚的な大組織は合わない、ということです。

大学は非公務員になった後も、典型的な官僚組織で、完全な分業制です。経理、人事、総務、教務などはもちろんのこと、大規模大学では学部ごとに事務があり、本部がありで、各系統内で人事異動が完結し、他の系統に異動することはめったにありません。

すると、自分の領域のことは詳しくなっても、他の領域のことは分からない(分かろうとしない)、「専門の人」を量産することになります。

それでも、その専門性が外部で通用すればまだ救いがあるのですが、その組織に特化した専門性ですので、外部では全く役に立たない、「○○大学専用の人」ができあがります。

働かせる側としては、その組織のことをよく知っていて、分業にも適した人ができるので、悪いことではありません(なので、この方法を採用しています)。

しかし、働く側として、その組織以外では役に立たない人になってしまいますので、組織と運命共同体となってしまい、何か組織に問題が発生しても逃げ出すことができません。

そして、官僚的組織で一般的な分業制は、器用な人には損な面を抱えています。

経済学の考え方で、比較優位というのがあります。

詳しくは、こちら。比較優位 - Wikipedia

要するに、自分の得意なことに特化することで、全体として利益が増える、というものです。

これを仕事に当てはめてみると、苦手なことは他人に任せて、それぞれが自分の得意なことをすれば全体として利益が増える、ということになります。

ただ、これにはちょっと問題があります。産業であれば、好き・嫌いというのは無いかもしれませんが、人間は好き・嫌いがあります。すると、みんなが嫌がるような仕事は誰がすればいいのでしょう?

比較優位では、能力が無い人を基準にして、順番にその人の得意なことをさせることになります。なので、一つのことしかできない人はその一つのことをしますが、色んなことができる人は、他の人が苦手なことをすることになります。

すると、器用な人は本人の好き・嫌いと関わりなく、他の人が苦手なことをすることになります。

他の人が苦手な仕事が、本人も本当は苦手だったらどうでしょう。そしてそれが、とても地味であまり評価されない仕事だったとしたら?

他の人は自分の得意なことで評価もされるのに、器用な人は自分の苦手なことをして評価もされない、ということになりかねません。

もちろん、どんな仕事も適切に評価されればこういう事態は避けられるのかもしれませんが、実際にはそうはいかないものです。

分業制の進む組織では、器用な人はまさしく「器用貧乏」になってしまいやすいと思います。

では、分業制の進んでいない組織とは、どんな組織でしょう。

やはり規模の小さい組織ではないでしょうか。

中小企業では、一人で何役もこなさなければ仕事が回らないですから、一つの高い専門性より、幅広い知識が求められることが多いと思います。

ベンチャーも、規模も小さいですし、何より細かく分業制を設計している余裕がありませんので、受けた仕事はなんでもこなす、器用な人が重宝されると思います。

私はここに、自分の可能性を見いだしました。

分業制の進んだ組織というのは、大企業であることが多く、給与や福利厚生の面では、とても魅力的です。一方で、器用な人にとっては、魅力的な仕事がない(させてもらえない)可能性もあります。

給与や福利厚生といった、大企業の魅力は、子育てや介護の時にはとてもよいですが、それらが一段落したら、中小企業やベンチャーに転職してもよいのでは?と、最近は思うようになりました。

器用貧乏の方、器用を生かす選択肢としていかがでしょう?

インセンティブは毒?

こんにちは、ちょびです。

 

主に仕事上の話ですが、従業員にやる気を出してもらうためにインセンティブを使う企業というのは多いと思います。

例えば、ノルマを達成すれば報奨金が出たり、売り上げがトップになれば社長賞が出たり、他にも基本給が上がる、役職が上がる、周りに認められる・評価される、というのもある意味でインセンティブと言えると思います。

こうした広い意味を持つインセンティブですが、今回は「これを達成すれば、こういう報酬がもらえますよ。」という「If-Then型」のインセンティブについてお話ししたいと思います。

日本は元々、「If-Then型」のインセンティブをあまり積極的に導入していなかったと思います。年功序列に横並び、終身雇用では、あまり極端なインセンティブを用意しても全体の調和が乱れるため、かえって悪影響を及ぼしかねません。評価にしても昇進にしても極端に差がつかないようになっていました。

これが崩れたのがバブル崩壊後で、人件費を抑制したい企業は評価に基づいた賃金制度を導入し、業績が目標に達成しない多数の給料を下げ、スター社員にだけ高い給料を払う方法として、インセンティブも徐々に浸透してきたのではないでしょうか。

海外(特にアメリカ)では飛び抜けた業績を出した人間に、これまた飛び抜けたインセンティブを与えるのが一般的なようです。こういった国は元々、仕事に人間がくっついている「ジョブ型」といわれる雇用体系を取っており、「あなたの仕事はここからここまで」、「あなたの目標はこれ。達成すればたくさんお金を払うし、いついつまでに達成できなかったらクビね。」という分かりやすくて、とってもシビアな働き方をしています。

 

さて、この「If-Then型」のインセンティブですが、今の時代には実はあまり役に立たない、という研究結果が出ています。

「If-Then型」のインセンティブには、「物事に集中させる」という効果があり、一定のルールに従って作業を行う場合、とても効力を発揮します。

一方で、この「物事に集中させる」という効果は、視野や思考を狭くするという副作用があり、広い視野でものを考えなければならないとき、逆にその人をゴールから遠ざけてしまうのです。

これはかなり以前から社会科学の世界で言われていることなのですが、世間的にはあまり認知されていません。

では、現代のあるべきインセンティブとはなんでしょうか?

それは、また別の機会に書きたいと思います。

 

上記の話について、もしご興味があればTED Talkの「やる気に関する驚きの科学」を是非ご覧ください。

ダニエル・ピンク: やる気に関する驚きの科学 | TED Talk

あなたは野心的?

こんにちは、ちょびです。

 

突然ですが、私は昔、野心的でした。

国立大学職員を選んだ理由が「法人化に伴い、文部科学省の支配力が弱くなる。そうすればⅠ種(現在の総合職)ではない自分にも出世のチャンスがあるはず」というものでした。

思惑はある程度当たり、昔と比べればⅡ種(現在の一般職)の人の出世は早くなりました。が、文部科学省の支配力はそれほど変わらず、Ⅰ種の人が今でも幅を利かせている実態があります。

就職当時は野心的でしたが、年月が過ぎるほどに現実を思い知らされ、自分が希望していたような出世はあり得ない、ということに気付きました。

それでも同期の中では比較的評価されていた(と自分では思っていた)ので、それなりに出世できるもの、と思っていました。

私が出世に対して興味がなくなったのは、子供が生まれたのが大きいと思います。特に二人目が生まれて、仕事に使える時間が本当に減りました。自分の能力を駆使しても、まるで無制限に残業する人と比べれば、上司の評価はそこまで上がらなくなりました。

そして、そこまで残業しても部署の偉いさん達は、私の眼には魅力的な人物にまったく映りませんでした。子供や妻との時間を犠牲にして、自分の時間の全てを費やして、得るものは尊敬されない役職だけ。これでは割に合いません。私は出世することに距離を置くことにしました。

そんなことを考えていた私ですが、以下の記事を見て、野心は大切かも?と思うようになりました。

 

“権力志向型”小池さんが率いる組織の運命は?:日経ビジネスオンライン

 

上記の記事による、まずは権力者の自己認識から。

権力のある人は、権力のない人よりも自己を正当化する傾向にあるそうです。これは男性で特に強い傾向ではないかと思うのですが、年配の女性は他人から間違いを指摘されると「気づかなかった。知らなかった。」と言い訳する傾向があるようですが、年配の男性は「自分に指図するな。」といわば逆ギレする人が多いそうです。これは(他の人はルールを守るべきだが)自分だけは許される、と考える人がいるからだと思います。

特に権力(権威)のある人はこの傾向があるようで、大学教授が新幹線で非常識な行動を取り、物議を醸したこともありました。

全文表示 | 空いている指定席、「来てから移動ではだめですか」 大学副学長の「車掌名指し」ツイートが物議 : J-CASTニュース

 

さて、本題の野心の話ですが、前述の日経ビジネスオンラインの記事によると、権力志向型のリーダーを持つ部下は責任感が高く、自分は強いと感じる傾向があるそうです。

う~ん、私の実感とはかなり違う結果です。でも、最後まで読み進めるとちゃんとオチがついてます。

「自己抑制力のない権力志向型は、組織を滅ぼす」

これで納得できました。権力を欲しても、あくまで自分を律することができる人間だけが優れたリーダーであり、単に他人を支配したいだけの(自分勝手な)人間は組織の害になる、ということです。

権力者の自己認識については、権力者はもともと自分に甘くなる傾向があるため、その誘惑に負けない人間こそが優れたリーダーになり得る、ということだと思います。

そう言われれば合点がいきます。単に権力志向なだけの人間は往々にして、部下を食いつぶす存在です。権力を求めつつも、権力に溺れない人間はおそらくとてもパワフルで、魅力的な人間だと思います。そんなリーダーの下にいれば、部下は責任感が強くなり、自分が強くなったと感じるでしょう。

バランスの取れた野心は大事ですね。

その仕事はあなたを成長させてくれますか?

こんにちは、ちょびです。

 

みなさん、仕事は楽しいですか? このブログを読んでくれている方はご存知かもしれないですが、私は仕事が楽しくありません。

昔はそこまで思わなかったのに、どうして今は楽しくないのだろう?と考えてみました。

 

採用されてしばらくは、上司や先輩の言うことを聞いて、とにかく目の前の仕事を片づけることに必死でした。楽しい、楽しくないと考えるほどの余裕もなかったかもしれません。

仕事を始めてしばらくすると、一人でできることが増えてきました。「自分はこんなに仕事ができるようになった。成長している。」と思えるようになり、楽しく感じることもありました。

さらに時間が過ぎると、特に何も考えなくても仕事を処理できるようになりました。この頃はちょうど、「仕事ができる人」と周りに思われていた(自分ではそう思っていた)ので、評価されている、と感じて満足感もありました。

その後、色々とあり現在は仕事があまり楽しくありません。どうしてか?仕事から得るものがお金以外にないからではないか、という考えに至りました。

仕事をする以上、お金を得ることはとても大事なことです。ただ、それだけでは少し空しく感じます。もし、仕事の目的の大半がお金を得ることであるのなら、できるだけ効率的に、つまりより仕事をしないで沢山のお金を得る方がいいことになります。

そうなると仕事に対しての責任はできるだけ回避し、他人に仕事を押し付けるのが理想的になってしまいます。

また、もし宝くじなど、生きていくうえで困らない程度の収入が保証されれば、人は働かないことになります。もちろん、収入が保証されているのでリタイアして悠々自適の生活を送っている人もいると思いますが、金銭的な理由以外で働いている人も一定数いると思います。

つまり、人は仕事から金銭的以外の報酬も仕事から得ているのだと思います。

 

それはなんでしょう?

 

一つは社会的なつながりだと思います。人は社会的な生き物ですので、他人とある程度の関係性が必要です。仕事はこういった他人との関係性を(良くも悪くも)提供してくれます。

もう一つは人間的な成長だと思います。組織の良いところは、一人ではできないことをできることです。組織を利用すれば、一人ではできない経験を、組織を通じて経験できる可能性が増えます。多様な経験はその人を成長させるきっかけになります。

 

私の場合、職場でもプライベートでも、他人との関係性を大事にしようと思っています。ですから、顔を合わせる人にはできるだけ誠実に対応するようにしています。

ただ、今の組織は、私に人間的成長を促すような経験をさせてはくれません。

(まあ、パワハラ⇒降格は、ある意味人間的な成長を促してくれましたが。。。)

仕事はいつかどこかで見たことあるような、頭を使わなくても時間さえかければなんとかなるものばかりで、新しい経験とは程遠いものです。

上司のセリフも、「自分の責任問題にならないか?」ということだけが問題で、相手のためでも、組織のためでもありません。

そりゃ、成長しないですよね。

 

新しい経験のため、今は英語とプログラミングを勉強してます。

英語は遠くない将来、自動翻訳の登場で利用頻度は減るかもしれません。でも、お酒を飲みながらくだらない話をするのに、機械を通すのは野暮に感じます。

プログラミングは、多くの仕事がAIに代わっていく中で、重要なスキルになっていくと思います。

もし、この二つはある程度取得できれば、世界中のさまざまな国に行っても働けるのではないか?という思いがあります。

本当にそんなことができるかどうかわかりませんが、「この職場にしがみつかなくても生きていける」、と思えれば、それだけで気分が楽になります。

自分には選択肢がある、と思えることはとても大切なことです。多くの人は選択肢を見出せなくて消耗しているのではないでしょうか。

ブラック企業を辞めることができない人も、将来の不安から知らず知らずのうちに選択肢を狭めてしまっていると思います。

「すべての選択肢がテーブルの上にある(byトランプ大統領)」、ではないですが、ある程度の選択肢は、その人に余裕を与えてくれます。

 

自分が成長することは、選択肢が増えることだとも思います。だから、私は仕事でも成長がしたいのだと思います。

 

会社との付き合い方

こんにちは、ちょびです。

 

いきなりですが、日経ビジネス・オンラインで以下のような記事が載っていました。

business.nikkeibp.co.jp

以前、「責任感が強いのは損?」でも少し書いたのですが、会社の中で出世するのは、無責任なタイプだそうです。

 

で、今回の記事でとても心に残る一文がありました。それは、

ホントに組織っていうのはね、無責任な人ほど出世する。部下を育てろ、結果を出せ、と言われるけど、部下は育てるモノのではなく“上手く使うコマ“で、結果とは“上に従順に動く”ってこと。そういうことが出来る人が、上に認められるんです。

これ、かなり会社の核心をえぐってますよね。

部下はコマで、結果は上に従順。私の職場でもこれと全く同じことが言えます。

会社は、うわべではワーク・ライフバランスだ、働き方改革だ、ダイバーシティだといいますが、子供のために早く帰る男性社員は迷惑なだけの存在だと思っていますし、長時間勤務解消の方法は現場任せ、ダイバーシティといいながら女性もろくに活用できない(出世している女性は性別が女性なだけで、働き方は男性そのもの)、と感じています。

これが日本企業の実態なのでしょう。

こんな会社と、どう付き合えばよいのでしょうか。私の出した結論は、「会社に頼らずに生きていく方法を探す」です。

究極的には、フリーランス、自営業ということでしょうか。それなら、上も下もなく、いろんな意味で結果だけが全てですから。

でも、みんながみんなフリーランスという訳には、なかなかいかないですよね。

組織のいいところは、それぞれが専門特化しているところです。どんなに優秀な人でも、営業をしながら経理をしながら開発をしながら経営をしていては、全部が中途半端になってしまう可能性が大です。その点、組織なら営業は営業が、経理経理が行いますから、経験も増えますし、覚えることも少なくて済みます。効率的ですよね。特に対象事業が大きくなると、このような分業制は非常に効果を発揮します。

というわけで、会社に属するのが絶対に悪い、という訳ではないと思います。ただ、会社にどれほど(自分なりの)忠誠を誓っても、会社は必ずしも報いてくれるとは限りません。もし仕事で体を壊しても、労災が適用されるだけで、会社がその後のあなたの面倒を見てくれる訳ではありません。

その点を頭に置いて、会社とは適度な距離感を取るしかないと思います。それはきっと、会社から見れば「忠誠心の低い人」に見えるでしょう。でも、会社が欲しいのは、自分たちに都合のいい人であって、決してあなた個人ではないのです。そんな勝手な人(?)とは、適度に距離を取る必要があると思います。

では、具体的に会社と適度な距離を取るにはどうしたらいいのでしょうか。私は、「会社が信用できなくなったらいつでも縁が切れるようにしておくこと」だと思います。要はいつでも転職できる態勢を整えておく、ということですね。

夫婦の関係に置き換えると、会社は稼ぎのある夫、私たちは専業主婦と言った感じでしょうか。夫(会社)は毎月お金を入れてくれますが、妻(私たち)の努力に全く感謝を示さず、「もっとも家計をやりくりしろ!」と言ってきます。妻は他に収入の道がないので、不満を抱きつつも夫の言うことを聞くしかありません。

もし、妻に多少なりとも収入があればどうでしょう?もしかしたら離婚(退職)を考えるかもしれません。他にいい人がいれば、再婚(転職)も検討するでしょう。

私たちが会社に不満を抱きながら、それでも会社の言いなりになっている理由は、他に収入がないから、それだけです。他に生きていく道があれば、どうして自分を尊重しない夫(会社)と暮らしていかなければならないのでしょうか。

そういう意味では、日本はまだまだ再婚(転職)が厳しい環境です。若い頃は労働より対価の方が相対的に低く、年齢が上がって、やっとその分を取り返せる仕組み(年功序列)になっています

もちろん、これにはメリットもあります。それが終身雇用です。つまり、個人は転職等の社会情勢をあまり気にせず、自分の仕事に打ち込めるので、スキルが上がりやすい、会社も人の入れ替えに伴う人材育成等の経費を考慮しなくてよい、ということです。

ただ、時代は変わって、社会人生活50年の世の中では、そもそも1社で社会人生活が終わる人の方が少数になっていくでしょう。転職が当たり前になれば、社員と誠実に向き合わない会社は淘汰されていくことになると思います。そんな時代に備えて、今は会社と適度に距離を取って、自分のスキルを磨くことに力を入れていくことを強くお勧めします。

 

色んな意味で、まだしばらくかかりますが。。。